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テレビ朝日・小木逸平アナ、メガネ外すも2週間で挫折のワケ

「メガネは顔の一部」と言われますが、テレビに顔出しを行うアナウンサーはまさにこの言葉とは切っても切れないものです。

テレビ朝日・小木逸平(こぎいっぺい)アナもメガネの印象がとても強い男性アナウンサーのひとり。
テレ朝の朝のワイドショーに出ているメガネのアナウンサー、といえば彼の顔がまず浮かぶのでは?

そんなメガネのアナウンサー・小木アナ、実は過去にわずか2週間だけイメチェンをしてメガネを外していたことが!?

果たして、彼はなぜイメチェンを敢行したのでしょう?
そして、何故2週間でイメチェンが終わったのでしょう?

「メガネ」の他にも小木逸平アナの気になる話題を取り揃えましたのでチェックしましょう!

小木逸平(こぎいっぺい)プロフィール

テレビ朝日アナウンサー・小木逸平

出身地
埼玉県新座市
生年月日
1974年5月14日
年齢
49歳
身長
176cm
星座
牡牛座
出身高校
埼玉県立浦和西高校
出身大学
中央大学 文学部 哲学科
趣味・特技
落語 / 小型四級船舶 / サッカー
資格
小型四級船舶免許
モットー
一心岩をも通す。全力でやれば何とかなる!
長所
好奇心が強い
短所
物忘れがひどい
入社年月日
1998年4月1日
公式ブログ
テレビ朝日 アナウンサーズ 小木逸平

小木逸平アナは1974年5月14日生まれ、埼玉県新座市出身。
現在49歳。

埼玉県立浦和西高校から中央大学文学部哲学科に進学。
ちなみに小学校は新座市立野火止小学校を卒業しています。

大学卒業後の1998年4月にテレビ朝日へ入社。

名字の「小木」は「おぎ」と読みやすいですが「こぎ」。

5歳離れた双子の姉がおり、幼少期は「かわいい双子」として姉ばかりが注目されていたことが「話して目立つ」という職業に通ずる気持ちを生んだと語っています。

子供の頃はピアノとサッカーを習っていたものの、特にピアノは「姉が習っているから自分も」と依存した理由で始めたために長続きせず終わっています。

特にピアノの先生のところに通うのが気が重くて。
姉が習っているから自分も、がよくなかったようで。

物忘れのひどさを短所にあげており、小学生の頃は何度もランドセルを忘れて登校するほどだったとのこと。

落研時代「12代目 あたり家大穴」

中央大学に在学中は、落語研究会、いわゆる落研に所属。

高座名は「12代目 あたり家大穴(あたりやだいあな)」

何かしらの落語大会で優勝した実績があるのは確かで広く知られていますが、具体的にどういった場での活躍だったのかは不明です。

小木が学生落語日本一に輝いたという勲章をもっていることは多くの人が知るところである。

大学卒業後は、中央大学落語研究会のOBで結成された「東京無銭」のメンバーとして名を連ねており、アナウンサーとなってからも年1回「素人落語会」と称した寄席を開催。
「芝浜」「厩火事(うまやかじ)」などを披露しています。

実は先日(11/26)学生時代の仲間と年1回開催している素人落語会を
今年もやりました!

落語家・立川談志を敬愛しており、浪人時代に聞いた彼の落語が大学入学後の落研への要因となっています。
その入れ込み具合はかなりのもので、卒論のテーマにも「立川談志」を取り入れ、アナウンサーになってからも時折「江戸っ子しゃべり」になってしまうほどです。

なお、立川談志が亡くなった2011年末には2度に渡って追悼ブログを更新しています。

よし大学に入ったら落語研究会に入ろう、というやや間違った目標ができ、私はようやく勉強するようになったのだった。そんなこんなで卒論まで立川談志である。

同期のアナウンサー

1998年にテレビ朝日へ入社した小木逸平アナの同期アナウンサーは次の通り。

意外にも退社済みは1人、皆さんテレビ朝日に残っています。

小松靖

上山千穂

野村真季

徳永有美

小木逸平の担当番組

小木逸平アナの担当する番組はこちら。

報道ステーション

2018年10月より金曜日のメインキャスターを担当

週刊ニュースリーダー

2016年4月9日より番組進行アナウンサーとして出演

サンデーLIVE!!

2017年10月1日の番組開始当初からテレビ朝日からの選抜アナウンサーとしてキャスターを務める

過去の主な出演番組

ニュース

ワイド!スクランブル

2018年9月28日まで出演
実は橋本大二郎と同じタイミングで卒業していた

スーパーJチャンネル

サンデースクランブル

2005年1月9日~2016年3月27日まで日曜の昼(現在の「ビートたけしのTVタックル」にあたる枠)に放送されていたワイドショー。

2011年10月2日~2015年3月29日まで下平さやかアナと共に司会として出演。

ポータル ANNニュース&スポーツ

スーパーモーニング

1993年4月5日~2011年4月1日まで放送された平日朝の情報番組。
現在放送されている「モーニングショー」の枠で「モーニングバード」の前身にあたる番組です。

小木逸平アナは2007年4月2日~2011年4月1日までフリーの赤江珠緒アナと共に司会を務めていました。

結婚

2002年7月に結婚した小木逸平アナ。
7月13日には挙式、その様子もテレ朝公式サイトに掲載されています。

奥さんがどんな人なのか、細かい情報は公開されていないので恐らく一般人なのでしょう。
顔写真は披露宴の写真がどうようの場所に公開されているのでそちらをご覧ください。

⇒ 小木アナウンサー結婚!おめでとうございます。 | トピックス | テレビ朝日

2004年4月に長女、2006年8月に長男、日付は不明ですがその後に次女も誕生、現在は3児の父となっています。

さて5年経って私は3児の父となってしまいました。

メガネを外してクレーム殺到?

小木逸平アナといえば、メガネがトレードマークといっても過言ではないでしょう。

しかし、実は過去にわずかな期間だけ「メガネなし」のイメチェンを行っていました。
ちょうど「スーパーモーニング」を担当していたころです。

メガネを外してイメチェンをした発端は「スキーに行くから」というもの。

ゴーグルを掛けるからコンタクトにしてみよう ⇒ ついでにコンタクトでテレビに出てみよう ⇒ 引くに引けなくなった

という流れでイメチェンが始まっています。

始めてメガネを外して出演したのは2011年1月17日。
意気揚々とイメチェンを果たしたものの、2011年2月1日には再びメガネ装着。

どうやら家にコンタクトを忘れてきた模様。
小学生の頃からランドセルを忘れて登校していた小木逸平アナですから、まあ十分にあり得る話でしょう。

しかし、翌日もその次もメガネを装着する小木逸平アナ。
一体なぜ・・・?

理由は簡単、「評判が悪い」からです。

視聴者はもちろん、テレビ朝日社内からも不評で「小木逸平 = メガネ」はかなりの強度で定着していたことが浮き彫りになりました。

メガネの「あり」「なし」を比較するとこうなります。

テレビ朝日・小木逸平アナのメガネ有り無し比較

「メガネ無し」に不自然さを感じる人はとても多かったのでしょう。

その後、彼がメガネを外してテレビに登場することはありませんでした。(今のところ・・・)

「コンタクトを忘れてメガネで出演したら、みんなやたらとメガネの方がいいって言うし・・・。」
「たまたま2月1日だったからタイミングもいいし!」

2017/09/05 更新日

-テレビ朝日アナウンサー
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