負け女キャラが浸透、フリーアナ宮崎宣子がTwitter開始!フォロワー数3桁の大惨事
元日本テレビの局アナで、現在はフリーで活躍する宮崎宣子(みやざきのぶこ)アナ。
結婚して幸せな家庭を築いていた勝ち組イメージが前面に出ていたものの、2014年9月に離婚。
幸せの意味や夫婦の意義など複雑な思いが背景にあっての離婚だったようです。
以降、すっかり負け組の女子アナ感が付きまとっており、負け組系バツイチセレブの女子アナという、どことなく西川史子女医に似た雰囲気を醸し出しています。
そんな宮崎宣子アナですが、2016年9月からTwitterを開始。
元局アナでテレビ露出も知名度もそれなりにあるはずの彼女ですが、フォロワー数が3桁で伸び悩む大惨事に陥っています。
これはかわいそうだ・・・。
ということで、宮崎宣子アナの離婚の原因や局アナ時代の休職の背景など、彼女を詳しく知るための話題に触れてみましょう。
そして、誰でも良いので、彼女を知った上でアカウントをフォローしてあげましょう。
宮﨑宣子(みやざきのぶこ)プロフィール
おはようございます(^^)
今日も元気に笑顔で😆❤️ pic.twitter.com/MBANPn5OOi— 宮﨑宣子 (@miyazakinobuko) 2016年12月20日
- 生年月日
- 1979年9月4日
- 年齢
- 44歳
- 出身地
- 宮崎県宮崎市
- 血液型
- B型
- 身長
- 162cm
- 最終学歴
- 早稲田大学第一文学部 卒業
- 趣味
- 旅行 / 読書 / 映画鑑賞 / 料理 / 紅茶作りとその試飲 / 世界遺産巡り / 神社巡り / ホットヨガ / テニス / ゴルフ / 犬の散歩
- 特技
- 体が柔らかい
- 資格
- 紅茶のシニアコーディネーター
- 所属事務所
- プロダクション尾木
- 公式サイト
- 宮崎宣子 プロフィール | プロダクション尾木
- ブログ
- 宮崎宣子オフィシャルブログ Powered by Ameba
- @miyazakinobuko
- miyazaki_nobuko
苗字の「崎」は、本来「﨑(たつさき)」で「宮﨑宣子」が正しい表記ですが、SNSやブログ、ニュース記事も含めて「宮崎」と記載されていることが多いようです。
当記事でも「崎」表記を基本とします。
宮崎県立宮崎北高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部に進学。
高校時代に当時のフジテレビ・木佐彩子アナやTBS・雨宮塔子アナを見てアナウンサーを志したそうです。
大学時代はアナウンス研究会に所属。
ミス早稲田に出場したものの、最終選考ではブランプリに選ばれなかったそうです。
2002年に日本テレビへ入社。
しかし、同期入社の中でもアナウンス技術が伴っておらず、3年間も担当番組がありませんでした。
ひたすら見学と基礎を学んで過ごしていたそうです。
体調不良?度重なる降板
日本テレビ時代の宮崎宣子アナは、体調面で何度か番組を降板していました。
1度目は2009年6月。
顎関節症の病気治療ということで、レギュラーを降板し、休養に入りました。
2010年2月に復帰。
治療も並行して行っていく形でアナウンス業務に就きました。
ところが、2010年9月。
体調不良を理由に再びレギュラーを降板。
2011年4月の復帰まで休職することとなりました。
休職の背景には何が?
最初は顎関節症という病気が理由にあったとはいえ、彼女の体調不良により休職の背景には何があったのでしょうか?
ひとつ可能性として考えられるのは、本人にとっては「イジメ」と捉えることもできる日本テレビ内の指導によるものかもしれません。
「ある先輩と二人になると、原稿を宙に投げながら『あなたはアナウンサーじゃないのよ!』と終電まで説教」されたそうです。
これは2016年5月16日放送されたTBS「直撃!コロシアム!!ズバッと!TV」で彼女の口から発せられたもの。
彼女が「イジメ」と捉えていたのであれば、日テレ在籍中に精神的に追い込まれて休職していたとしても不思議ではありません。
ただし、この「イジメ」については「指導」であるという意見も存在しています。
彼女が日本テレビに在籍していた当時は、いわゆる女子アナブームが過熱していた時期でした。
フジテレビの女子アナがアイドル・タレント化して人気を博しており、日本テレビもこれに追随する形で女子アナをCDデビューさせるなど力を入れていました。
この女子アナのタレント化に憧れる局アナも多く、宮崎宣子アナもそうしたひとりであったと言われています。
そんなブームに反発していた先輩女子アナも存在しており、「先輩」が宮崎アナを説教していた背景にはそのような事情も垣間見れます。
説教が深夜に及んでいた理由も、人前では叱らないという配慮からと言われています。
とはいえ、イジメか指導かは当事者の受け取り方次第で、心にどの程度ダメージを追うかも人それぞれです。
あくまで可能性としてこのような背景も考えられるということになります。
日テレ時代の同期は?
2004年に日本テレビへ入社した宮崎宣子アナ。
同期で入社したのは次の方々です。
なお、現在も日本テレビにアナウンサーとして在籍しているのは、佐藤良子アナと田中毅アナ。
その他は、フリーに転身したり、諸事情により表舞台から消え去ったりと様々です。
佐藤良子
日本テレビの女性アナウンサー。
1980年3月29日生まれ、山口県徳山市出身の43歳。
東京外国語大学外国語学部 卒。
身長166cmのO型。
過去の主な出演は「所さんの目がテン!」「PON!」など。
田中毅
山本舞衣子
フリーアナウンサー。
1978年5月20日生まれ、神奈川県横浜市出身の45歳。
東京大学医学部 卒。
身長162cmのB型。
日本テレビ時代の代表的な出演は、「ズームイン!!SUPER」「Oha!4」など。
2011年5月からフリーに転身。
炭谷宗佑
元・アナウンサー。
2006年の不祥事により表舞台から姿を消す。
主な出演番組
宮崎宣子アナが出演していると思われる番組は次の通り。
TOKYO MX「音ボケPOPS」
ゲストアーティストの曲&トークで構成された音楽バラエティ。
MCを務めるのは歌手・華原朋美さん。
放送日時
土曜 21:30~22:00
出演者
- 華原朋美
- 武田修宏
- 大地洋輔(ダイノジ)
- misono
- 入江慎也(カラテカ)
- 宮崎宣子
- 増田有華
- 橘ゆりか
公式サイト
AbemaTV「AbemaPrime」
サイバーエージェントとテレビ朝日の共同出資で行われるインターネット放送。
宮崎宣子アナはレギュラーではないですが、出演回数は多いようです。
放送日時
月~金 21:00~23:00
公式サイト
日本テレビ「今夜くらべてみました」
2016年5月24日放送分に出演。
宮崎宣子アナの他、DJ KAORIさんと朝比奈彩さんも出演。
「世田谷生まれの斎藤工VSトリオ THE 上京してきた女」と題して、彼女たち3人を比較する内容でした。
【ラジオ】土曜の午後は♪ヒゲとノブコのWEEKEND JUKEBOX
文化放送で2014年4月5日~2016年9月24日まで放送。
公式サイト
⇒ 土曜の午後は♪ヒゲとノブコのWEEKEND JUKEBOX
離婚した元・旦那は誰なのか
宮崎宣子アナが結婚したのは、まだ日本テレビに在籍していた2011年12月。
大手レコード会社勤務の男性と結婚。
翌2012年3月に日本テレビを退社してフリーになるも、2014年9月に離婚。
結婚生活は約3年の期間で終了しました。
元・旦那の男性については、大手レコード会社勤務で、彼女より1歳年上ということ以外は不明です。
あくまで一般人の男性ということでしょう。
離婚を明かしたフリーアナウンサーの宮崎宣子(35)が、自身のブログで子供への未練ともとれる内容をつづっていた。大手レコード会社勤務の元夫(36)に“遊び人”説も浮上、苦渋に満ちた別離の原因はやはり子作り問題にあったようだ。芸能ライターが言う。
さて、宮崎宣子アナはなぜ離婚に至ったのでしょうか?
様々なメディアで彼女自身が離婚の原因を語っているのですが、それらを総合すると次の3つが主な理由とされています。
理想の押しつけ
彼女は、旦那に尽くして子供を設けるという「一般的な幸せ」に対する願望が強かったようです。
旦那に尽くすことが彼女自身の幸せであると感じていたようで、それが旦那への負担になったのかもしれません。
事実、彼女はブログで「この結婚は自己満足を満たすためのものだったのかもしれない」と綴っています。
9月5日にレコード会社社員との離婚を発表した元日本テレビのフリーアナウンサー、宮崎宣子(36)が16日放送のTBS系「櫻井有吉アブナイ夜会」(木曜後10・09)に出演。破局の真相について「尽くし方を間違えた」などと泣きながら告白した。
すれ違い
旦那が帰ってこないと不満を漏らしていたという宮崎宣子アナ。
元々、遊び人気質があったとも噂される旦那ですが、彼女の強い理想が家から足を遠ざける原因になったと考えられます。
「宮崎アナに近しい芸能関係者によると、『夫がなかなか家に帰ってこない』と不満を漏らしていたそうです。周辺を取材すると、お相手の男性がもともと遊び人っぽい雰囲気の人なので心配していた、という証言も出ています」
子宝に恵まれなかった
徐々にすれ違い始めたふたり、彼女は子宝願望も強かったようですが、すれ違い生活でそれも叶わず。
『自分のことを彼は好きではないんだろうな。好きでもないのに夫婦。なぜこの人と一緒にいるんだろう』
子宝にも恵まれず、夫婦の意義が見いだせなくなった彼女。
それが、最終的な離婚に引き金になったと言われています。
離婚が明らかになった元日本テレビのフリーアナウンサーの宮崎宣子(35)。自ら「トゥーマッチ(やり過ぎ)離婚」と語ったその胸中には、すれ違いが続き、子宝に恵まれなかった寂しさがあったようだ。
Twitter開始もフォロワー数が増えない大惨事に
話は変わって。
2016年9月11日からTwitterのアカウントを開設した宮崎宣子アナ。
今日からツイッターを始めることになりました。
何卒よろしくお願い申し上げます。
宮崎宣子
#宮﨑宣子#宮崎宣子#miyazaki_nobuko pic.twitter.com/OcMGIIRgod— 宮﨑宣子 (@miyazakinobuko) 2016年9月11日
少ないとはいえテレビへの露出もある元局アナの彼女ですが、そのフォロワー数が3桁と一般人と比較しても少数に留まっています。
文化放送のラジオ「土曜の午後は♪ヒゲとノブコのWEEKEND JUKEBOX」最終回でもTwitter開設については触れられており、それとなくPRしていたはずですがフォロワー数は思ったように伸びていないようです。
「使い方がわからない」と放送中も述べていた通り、ツイート数は極端に少なく、お世辞にも有効に使われているとは言えません。
そんな状況もあって3桁のフォロワー数の留まっていると考えられます。
すっかり負け女イメージが付いてしまった宮崎宣子アナ。
せっかくなので同情でも良いからフォローしてあげてはいかがでしょうか?
投稿日 2016/09/30 更新日