「NHKのど自慢」小田切千アナの名前が珍しい理由とは?
日本を代表する素人参加型音楽番組「NHKのど自慢」
生放送と素人参加という大変な番組を見事に仕切るのはNHK・小田切千(おだぎりせん)アナ。
芸名ではありません。本名です。
実は「千」という名前、実は生まれたときに名付けられたものではなかったようで・・・。
当初は別の「千」よりは普通だったのですが、一体なぜ「千」という名前になったのでしょう?
「のど自慢」で見せた好プレーや「パーフェクトヒューマン」の変顔の話題などと合わせてご紹介します。
目次
小田切 千(おだぎり せん)プロフィール
- 出身地
- 神奈川県厚木市
- 生年月日
- 1969年9月13日
- 年齢
- 53歳
- 趣味・特技
- 百面相 / 鍋料理を作る / さんまの干物をきれいに食べる / 利きポテトチップス(のり塩味)
- 好きな食べ物
- 焼き鳥(特にぼんじり)/ 汁物全般 / 発酵食品全般
- モットー
- とにかく笑顔
- 公式サイト
- 小田切千|アナウンサーを探す | NHK アナウンス室
- ブログ
- NHKのど自慢Blog:NHK
1969年9月13日生まれ、神奈川県厚木市出身。
53歳。
駒澤大学法を卒業、1994年にNHKへ入局したベテランアナウンサー。
2015年には、大学の後輩となったタレント・萩本欽一さんへのインタビューを行っています。
欽ちゃんの挑戦に、駒澤大学卒業生の小田切千アナウンサーが迫ります。
初任地は長崎放送局。
大阪・水戸・東京での勤務も経験しています。
現在は東京アナウンス室に勤務していますが、3度目の異動。
日本語センターへの出向を含めると4度の東京勤務ということになります。
最初は「秀一郎」だった?名前「千」のナゾ
「小田切 千」(おだぎり せん)という珍しい名前。
当然「千」という名前は本名ですが、実は生まれたときに付けられた名前は「千」ではありませんでした。
出生時の名前は「秀一郎」。
そう、小田切アナは昔「小田切 秀一郎」という一般的な名前でした。
昔は「秀一郎」で今は「千」
ということは、どこかのタイミングで戸籍上の名前が変わったということになります。
昭和44年、西暦だと1969年。
「夕刊フジ」創刊、、「NHK-FM」放送開始、4月には長野放送・富山テレビ・石川テレビなど計12の民放地方局が開局。
マスコミ・放送業界的には大きな動きがあった年と言えます。
世間的には「キャッシュディスペンサー」(現金自動支払機のこと)が出回り始めた時代です。
キャッシュカードに「オダギリ シュウイチロウ」の名前が入りきらず、息子の名前が「長すぎる」と実感した小田切アナの両親。
彼が3歳の時に『今日からお前の名前は「千」だ』と言い渡されたそうです。
当時も名前を変えるのは簡単な話ではなく、暫くの間、戸籍上は「秀一郎」、実生活では「千」と2つの名前を持つことになりました。
戸籍上の名前を変えるには、条件を満たす必要があります。
例えば、「結婚したら同姓同名になってしまった」「名前が書きづらい・読みづらい」などです。
伝統芸能における襲名や出家など専門的な理由でも可能なようです。
他にも「長い間、その通称を使用していた場合」も名前を変えることができ、小田切アナのケースはこれに当てはまるようです。
高校受験前には「秀一郎」から「千」に戸籍名を変更したことから、約10年を経て可能仁なったということになります。
じつは生まれたときに両親が付けた名前は“秀一郎”でした。長男だったし、秀才になってほしいという思いで付けた名前だと思います。
「千」という名前が採用されたのは、姓名判断で15画が良いとされたことに由来。
「小田切」で12画使っているので、残り3画で表せる漢字として中国の小説「千里走単騎」から「千」が用いられたというのが「小田切千」という名前にまつわるエピソードでした。
同期のアナウンサー
1994年入局、小田切千アナと同期のアナウンサーはこちら。
数が多いので一部のアナウンサーのみ掲載、その他はリンク先をご参照ください。
泉浩司
1971年4月25日、東京都生まれ、埼玉県育ち。
慶應義塾大学商学部 卒。
初任地は沖縄放送局。
その後、水戸・東京・甲府などを経て前橋放送局へ。
「ほっとぐんま640」のメインキャスター。
中野純一
1971年12月29日生まれ、岡山県倉敷市出身。
学習院大学法学部 卒。
初任地は大分放送局。
その後は、福井・松江・東京・鳥取を経て現在の広島放送局に着任。
情報番組「フェイス」のキャスターを担当。
三橋大樹(みつはしおおき)
1971年11月15日、ポルトガル生まれ、神奈川県鎌倉市育ち。
中央大学 卒。
初任地は松江放送局。
その後は、長野・名古屋・東京・沖縄を経て宇都宮放送局へ。
ラジオセンター勤務も経験。
上記以外の同期アナ
その他1994年入局の同期アナウンサーについては以下のリンク先にリストアップしています。
担当番組
小田切千アナの担当番組と言えば、国民的な番組「NHKのど自慢」です。
NHKのど自慢
1946年1月19日からNHKラジオ第1で放送開始された素人参加型の歌番組。
テレビ放送は7年後の1953年3月15日から。
言わずと知れた日本を代表する長寿番組で、歴代司会者も多数に上ります。
小田切千アナが「のど自慢」の司会となったのは2013年4月7日放送からです。
同番組は各地方で開催されることから、金曜には開催地に入り打ち合わせ。
土曜日は地域の取材や予選、日曜日の本番に向けた準備。
普段テレビを見ていると感じることはありませんが、思いのほかハードスケジュールなようです。
過去には音声の不具合で謝罪したり、子供が「ディズニーランド」と固有名詞を口にして苦い顔しながら『NHKではテーマパークって言うんだよ』と訂正したりと、生放送ならではの放送事故やハプニングが付き物になっています。
※NHKはその存在から公平性が求められるので、特定の企業に利益がもたらされるような発言を避けています。
また、とある放送では92歳の老婆が鐘が鳴り演奏が止まったにも関わらず、それに気付かず最後まで歌い続けたということも。
小田切アナは、歌を止めることなく肩抱いて最後まで続けさせるという機転を利かせた対応を見せました。
これには、元フジテレビアナウンサー・八木亜希子さんも称賛を送っており、小田切アナの存在の重要性や生放送の司会の大変さを語っていました。
司会の小田切千さんが素晴らしいんです! あの番組をアナウンサーとして生で仕切る素晴らしさに「うわー、大変」と思いながら、そこをやっぱり見ちゃうんですよね。
過去の主な出演番組
情報・バラエティ
土曜スタジオパーク
2011年1月~2013年3月まで司会を担当
スタジオパークからこんにちは
1995年3月~2017年3月17日まで放送された情報・トーク番組。
小田切アナは2003年4月4日~2004年3月22日まで司会を担当。
いばらきわいわいスタジオ
NHK水戸放送局がローカル向けに放送していた情報番組。
水戸放送局時代の2004年10月~2006年3月までキャスターとして出演。
音楽番組
NHK歌謡コンサート
1993年4月17日~2016年3月15日まで放送された音楽番組。
阿部渉アナの後を継いで2006年4月~2013年3月まで司会を担当。
NHK紅白歌合戦
第57回と第58回のラジオ実況を担当。
第57回は島津有理子アナ、第58回は塚原愛アナと共に出演しました。
思い出のメロディー
夏の大型音楽番組で民放で言えば、フジテレビ「FNSうたの夏まつり」、日本テレビ「THE MUSIC DAY」といった番組に相当するものです。
2009年の第41回と2010年の第42回に司会を担当。
ナレーション
- 大河ドラマ 真田丸紀行(ミニコーナー「真田丸紀行」の語り)
独身?いや、既婚者です
一部ネットでは「小田切千アナは独身」とされているとかいないとか、いい加減な情報もあるようです。
まあ、それはそれとして。
小田切千アナは既婚者で子持ち。
「のど自慢」を担当しているために週末は家を空けているものの、子供とトランプで遊ぶ時間をリフレッシュ術としていることから関係は良好と思われます。
小田切家の週末は、毎週お父さんは仕事でいないから、
お子さんは頑張っているお父さんの姿をテレビで見るという感じですか?
まあ、僕が出ている番組は見ないですね(笑)。
特技発揮か!?「のど自慢」での変顔披露
実は演劇経験があるという小田切千アナ。
その経験を生かした百面相を得意としています。
さて、そんな特技が生きた場面が「のど自慢」でも放送されました。
RADIO FISHのパフォーマンスを捉えていたカメラが突然引いたと思ったら・・・。
小田切千アナにズームイン。
白目の変顔を披露!
バラエティが多い小田切千アナとはいえ、NHKアナウンサーが突然の白目変顔をカメラで晒したためネットは大いに盛り上がりました。
投稿日 2017/09/09 更新日