NHK武内陶子アナのプロフィール&出演と話題まとめ
NHK「おはよう日本」や「スタジオパーク」、「スタジオパークからこんにちは」などを歴任してきた看板女子アナの一人とも言える武内陶子(たけうちとうこ)アナ。
紅白歌合戦の総合司会も経験しているベテランアナウンサーです。
フランクな性格で、彼女を理想とする女子アナも多いことで周囲からも高評価。
さて、そんな武内アナですが、2度の出産を経験。
2度目は45歳でした。
世間一般でいう高齢出産です。
知名度の高いNHK女子アナの、しかも高齢出産ということで妊娠発覚から出産、その後の番組復帰まで余すところなくメディアが記事化していました。
そのため、45歳での出産に至るまでの過程が、ほんの僅かながら現在でも確認できます。
武内陶子アナのプロフィールやこれまでの経歴と共に過去のメディア記事を振り返ってみましょう。
武内陶子(たけうちとうこ)プロフィール
- 本名
- 上田陶子
- 出身地
- 岡山県倉敷市
- 生年月日
- 1965年4月17日
- 年齢
- 58歳
- 血液型
- B型
- 身長
- 168cm
- 最終学歴
- 神戸女学院大学文学部総合文化学科 卒業
- 好きな食べ物
- 肉
- 趣味
- ママ友&子どもたちと行くピクニック
- リフレッシュ術
- 娘の創作紙芝居を見る
- モットー
- 心のままに
- 勤務地
- 東京アナウンス室
- 公式サイト
- 武内陶子|アナウンサーを探す | NHK アナウンス室
1965年4月17日生まれ、岡山県倉敷市出身の58歳。
3歳の時に香川県小豆島へ移り住むと、その後は瀬戸内の県内を転々とした子供時代だったようです。
そのため、出身地を聞かれると難しいと語っています。
一番長く生活をしていたのは、愛媛県大洲市。
そのため、掲載メディアによっては愛媛県大洲市を出身とすることもあるようです。
※最新のNHK公式プロフィールでは、岡山県倉敷市を出身としています。
両親は岡山大学の出身で、母親の卒業を機に結婚。
父親が医学部、母親が教育学部。
武内アナが生まれたとき、父親はまだ在学中だったと言います。
母親は生活のために音楽教室の先生として働いていたそうです。
大学在学中にはテレビ出演も経験。
1987年当時、読売テレビで放送されていた桂文珍と由紀さおり司会によるバラエティ「おもしろサンデー」。
同番組にフレッシュリポーター(オーディションによる素人のリポーター)の一人として1年間出演していました。
入局後の経歴
1991年にNHKへ入局した武内陶子アナ。
初任地は故郷である愛媛の松山放送局。
後述しますが、松山時代に結婚しています。
その後は大阪放送局を経て、1997年に東京アナウンス室へ異動。
同年4月から「おはよう日本」のキャスターに就任しました。
午前2時に起床し、出社。
4時から打ち合わせをするといった生活を送っていたそうです。
2度の出産を経験しながらも、NHKの主要番組を担当。
仕事と子育てを両立させ、性格的にもフレンドリーな武内陶子アナを理想とする女性職員や女子アナは多く、広く親しまれるアナウンサーと言われています。
3人の子供を育てながら仕事もバリバリこなして、フレンドリーな武内アナを“理想”と慕う女子社員は多いんです。
同期のアナウンサー
武内陶子アナと同じく1991年にNHKへ入局し、現在も在籍が確認できるアナウンサーは次の方々です。
なお、武内陶子アナは学生時代のカナダ留学や就職浪人の関係で同期の中では一番年上のようです。
有働由美子(うどうゆみこ)
1969年3月22日生まれ。
神戸女学院大学の出身。
有働アナは武内アナの大学の後輩であり、NHKの同期ということになります。
黒崎めぐみ(くろさき めぐみ)
兼清麻美(かねきよ あさみ)
1968年11月28日生まれ、東京都出身。
初任地は福岡県。
その後、さいたま(旧・浦和放送局)・東京アナウンス室・大阪放送局での勤務と経て、再び東京アナウンス室に異動となっています。
山本志保(やまもと しほ)
1968年9月9日生まれ、東京都生まれ。
大阪・高松・千葉などを転々としたため、育生地は「全国あちこち」。
初任地は長野放送局。
その後は、東京アナウンス室・名古屋・さいたま(旧・浦和放送局)・東京アナウンス室・ラジオセンターと異動し、現在は名古屋放送局勤務となっています。
若林則康(わかばやし のりやす)
1967年6月19日生まれ、愛知県知多市出身。
初任地は松江放送局。
その後、鹿児島・名古屋・金沢・岐阜・ラジオセンター・鳥取・釧路と異動し、山形放送局勤務に。
ラジオセンターではディレクター業務を行っていたようです。
田村泰崇(たむら やすたか)
1966年10月18日生まれ、長野県出身。
初任地は鳥取放送局。
その後は、東京アナウンス室・神戸・名古屋・東京アナウンス室・長野と異動し、再度の東京アナウンス室勤務となっています。
池田達郎(いけだ たつろう)
1966年11月3日生まれ、熊本県出身。
初任地は岡山放送局。
その後は、熊本・福岡・東京アナウンス室・熊本・東京アナウンス室と異動し、名古屋放送局の勤務となっています。
大野克郎(おおの かつろう)
1966年5月23日生まれ、福岡県出身。
初任地は鹿児島放送局。
その後は、長崎・ラジオセンター・沖縄・和歌山・ラジオセンター・沖縄と異動し、富山放送局勤務となっています。
2度のラジオセンター勤務時はアナウンサーではなくディレクター業務に従事していました。
金澤利夫(かなざわ としお)
1967年3月3日生まれ、東京都出身。
初任地は静岡放送局。
その後は、広島・長崎・ラジオセンター・大分・東京アナウンス室・ラジオセンターと異動し、広島放送局勤務となっています。
2度のラジオセンター勤務時はアナウンサーではなくディレクター業務に従事していました。
吉松欣史(よしまつ よしふみ)
1967年6月1日生まれ、愛知県豊明市(または神奈川県横須賀市)出身。
公式プロフィール上は、出身地が2つ記されています。
初任地は京都放送局。
その後は、鳥取・広島・仙台・松山と歴任し、G-Media(株式会社NHKグローバルメディアサービス)へ出向。
帰任後は広島を経て、北九州放送局勤務となっています。
武田涼介(たけだ りょうすけ)
1967年1月24日生まれ、兵庫県神戸市出身。
出身地は複数ある模様。
初任地は福井放送局。
その後は、神戸・ラジオセンター・東京アナウンス室・札幌・静岡・東京アナウンス室を経て、別の部署に異動。
さらに日本語センターへの出向を経て、松山放送局へアナウンサーとして赴任しています。
浦田典明(うらた のりあき)
1967年9月29日生まれ、千葉県船橋市出身。
初任地は福島放送局。
その後は、水戸・広島・ラジオセンター・東京アナウンス室・鹿児島・ラジオセンターを経て、福岡放送局勤務となっています。
2度のラジオセンター勤務時はアナウンサーではなくディレクター業務に従事していました。
担当番組
武内陶子アナの現在の担当番組はこちらです。
ひるまえほっと
フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿
2016年4月28日からBSプレミアムで毎月最終木曜 22:00 ~ 23:00に放送される番組
再放送:最終水曜 23:45 ~ 24:45
過去の出演番組
武内陶子アナが過去に担当した主な番組をまとめました。
おはよう日本
東京アナウンス室へ異動後の初担当番組。
1997年4月~2002年3月の期間にキャスターを務めました。
スタジオパークからこんにちは
2007年6月4日~2009年12月11日に司会を担当。
双子を妊娠、産休の為に降板。
100分de名著
2013年2月・4月~11月と2014年・2015年放送分に司会として出演。
うまいッ!
番組開始の2012年4月8日~2017年4月2日まで出演。
NHK女子アナ枠の初代司会。
第54回NHK紅白歌合戦
2003年末の紅白歌合戦に総合司会を担当。
連続クイズ ホールドオン!
2012年4月~2014年3月に司会を担当。
同番組は、武内アナが産休明けの初担当ということでスポーツ新聞でも取り上げられました。
NHKの新年度番組のキャスターが1月31日、都内の同局で発表され、武内陶子アナ(46)が産休から2年ぶりに、新番組「連続クイズ ホールドオン!」(4月2日スタート、月~金曜、午後1時5分)で、本格的復帰することが発表された。
29歳で結婚
1994年、29歳で結婚した武内陶子アナ。
夫は文化人類学者の上田紀行さん。
結婚したものの大阪放送局への異動に伴い、3年ほどは別居することになったそうです。
その状態は東京アナウンス室への勤務になる1997年まで続いたと言います。
この辺りの結婚当初の話は平成27年1月5日の神戸新聞インタビューに掲載されています。
2度の出産で3児の母に
1994年に29歳で結婚した武内陶子アナですが、その後第一子を出産するのは10年後となります。
2004年11月に長女を出産。
1年3か月の育児休暇後に復帰しています。
それから5年後の2009年11月、双子を妊娠していると週刊新潮が報じました。
NHKの武内陶子アナウンサー(44)が双子を妊娠していることが4日、分かった。
出典:NHK武内陶子アナが来春双子のママに!― スポニチ Sponichi Annex 芸能【おススメ!人気コンテンツ】12月いっぱいで担当番組を降板し産休へ入ると、翌2010年4月に次女と三女を出産。
第2子を希望していた武内アナは不妊治療を受けていたそうです。
一説によると40歳を超えての不妊治療で子供を授かる確率は1割とも言われています。彼女の場合は、結果として45歳での高齢出産にという結果に至りました。
第2子を希望し不妊治療を受けていた。
投稿日 2017/04/23 更新日
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